ヤ行の画家たち



ヤ行の画家たちの紹介をします。



ヤン・ファン・エイク

ヤン・ファン・エイク『アルノルフィーニ夫妻の肖像』1434年ロンドン・ナショナル・ギャラリー。
画家名:ヤン・ファン・エイク。
時代区分:北方ルネサンス。
生没年:1395年?1441年。
代表作:アルノルフィーニ夫妻の肖像、ファン・デル・パーレの聖母子、受胎告知、ほか。
作品集:ヤン・ファン・エイクの生涯と作品解説。


ヤン・ファン・エイクとは?

北ヨーロッパの偉大なる画家と呼ばれるヤン・ファン・エイクは北方ルネサンス・初期フランドル派の画家です。
ヤン・ファン・エイクは、透明感があり緻密で詳細な肖像画や宗教画を得意としました。
ヤン・ファン・エイクの代表作に『アルノルフィーニ夫妻の肖像』『宰相ロランの聖母』『ヘントの祭壇画』などがあります。

ヤン・ファン・エイクの生涯

ランブール地方に生まれたヤン・ファン・エイクは、兄・フーベルトとともに画家の道に進みました。
兄・フーベルトは地元で親方として独立、弟・ヤンはハーグのホラント伯が亡くなるまで仕えた後、
ブルゴーニュのフィリップ善良公のもとで宮廷画家となります。
兄・フーベルトはシント・バーフ大聖堂のヘント祭壇画(ゲント祭壇画)に取り掛かっている途中で亡くなってしまい、
祭壇画は弟ヤンが引き継ぎ完成させました。
妻とともにブリュージュに移住したヤン・ファン・エイクは、
宰相ロランの聖母などの革新的な宗教画やアルノルフィーニ夫妻の肖像のような緻密な人物画に取り組みます。
繊細で緻密な表現が得意だったヤンは、室内の装飾品から遠くに見える風景まで、虫眼鏡で見たかのように細かく描写し、
その表現力は多くの芸術家たちに衝撃を与えました。

ヤン・ファン・エイクが活躍した北方ルネサンスとは

ローマから見て北側、アルプスより以北のイタリア以外のヨーロッパで始まった美術が北方ルネサンスです。
ネーデルラント、ドイツ、フランスなどヨーロッパの国々とルネサンス運動が盛んだったイタリアとの交流が進み、
イタリアに芸術家たちが自国にイタリアルネサンス美術のエッセンスを持ち帰ったことも、北方ルネサンスに多大な影響を与えました。
油絵具を使い始めた北方ルネサンスの芸術家たちの作品は緻密な表現力が特徴です。
ヤン・ファン・エイクはフランドルで活躍した画家です。

ヤン・ファン・エイクの特徴・作品鑑賞ポイント

グレーズ法による透明感と緻密なヤン・ファン・エイクの表現力
髪の毛や顔のしわの1本1本までリアリティにこだわり、そのしわに当たる光によって出来る陰影までも、
見たまま表現する観察力・描写力がヤン・ファン・エイクの作品の特徴です。
細筆で緻密な表現ができる油絵具の発達により、透明の油絵具を薄く塗り重ねるグレーズ技法を完成させ、
それまでにないほど発色の良い作品を生み出したヤン・ファン・エイクは、
衣服や宝石、金属なども本物と見紛うほどの美しさで描きました。
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ヨハネス・フェルメール

ヨハネス・フェルメール『真珠の耳飾りの少女』1665-1666年頃マウリッツハイス美術館。
画家名:ヨハネス・フェルメール。
時代区分:バロック。
生没年:1632年?1675年。
代表作:真珠の耳飾りの少女、牛乳を注ぐ女、デルフトの眺望、ほか。
作品集:ヨハネス・フェルメールの生涯と代表作・全作品一覧。


ヨハネス・フェルメールとは?

ヨハネス・フェルメールはオランダ・バロックの代表的な画家。
本名はヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフトですが、
通称のヨハネス・フェルメール、またはヤン・フェルメールの名で広く親しまれています。
光の魔術師とも呼ばれるフェルメールは、『真珠の耳飾りの少女』『牛乳を注ぐ女』『真珠の首飾りの女』など、
光を巧みに用いた風俗画を得意としました。
現存作品が35点前後(専門家により意見が分かれており点数は未確定)と大変少ないフェルメールは寡作の画家としても知られます。

ヨハネス・フェルメールの生涯

フェルメール作『アトリエの画家』に描かれているフェルメール本人と思われる後ろ姿
フェルメールは、1632年にオランダのデルフトで居酒屋兼画廊(美術&織物)を営む父の息子として生まれました。
15歳で画家に弟子入りしたフェルメールは、20代になると父の家業を継ぎ、間もなく結婚。
聖ルカ画家組合に親方として登録し、父が経営していた店をアトリエにしながら家業と画家の二足のわらじを履く生活を始めます。
最年少30歳で聖ルカ画家組合の理事長に選出され、さらにその8年後に再び組合の理事に再選出されていることから、
フェルメールは画家としての実力だけでなく、人望も申し分のない人物だったことが伺えます。
ただ、実力や人望はあったものの、フェルメールの存命中に彼の元に訪ねてきたコレクターはフランス人の、
バルカダール・ド・モンコニーただ一人だったといわれており、また画家として活動しながら借金をした記録も残っているなど、
子だくさんだったフェルメール一家の生活は決して豊かなものではありませんでした。
1672年にフランスがオランダに侵攻したことでオランダの経済状況が悪化すると、フェルメール一家の生活は破綻、
40歳で家と店を失ったフェルメールは43歳(1675年)で亡くなっています。
フェルメールの魅力が再発見され、その人気に火がついたのは、フェルメールが亡くなってから約200年後、1880年代後半のことでした。
フェルメールが生きた時代のオランダ ・豊かな暮らしと郵便制度の発達
フェルメールが描いたオランダ・デルフトの街並み
1588年にイギリス海軍が無敵艦隊のスペインに勝利すると、イギリスやオランダの時代が到来。
1632年生まれのフェルメールが生きた時代のオランダは、「オランダ黄金時代」と呼ばれるほどに栄え、
多くの市民家庭が中流、またはそれ以上の暮らしをすることができました。
商業の発展に伴い郵便制度も発達、識字率の高いオランダでは手紙やラブレターのやりとりが流行しました。
フェルメールの風俗画にも一般家庭の女性が手紙を読む場面が描かれています。
芸術として認められた風景画や風俗画
オランダは、偶像崇拝を禁じたプロテスタントの国だったため、
美術に関心が高い裕福な市民たちは宗教画ではなく身近なテーマの絵画や風俗画を求めました。
オランダやフランドルなど一部の国によって、風俗画や風景画も芸術のジャンルとして認められるようになっていったのです。
これまでの西洋美術史を振り返ってみると、画家の使命とは、王族や貴族、あるいは教会など、
所謂パトロンが気に入る絵を描くことでした。
そしてパトロンが画家に求める絵画の主題は、宗教画や神話画、パトロンやその家族の肖像画などであり、
風景画は「宗教画や神話画の背景」という扱いでした。
しかし、フェルメールが生きた時代のオランダは、商業の発達により裕福になった市民向けの芸術が求められたこと、
プロテスタントの信者が多く宗教画の需要が無かったことなどから、
風景画や風俗画といった市民に身近な主題の絵画が広まっていきます。
風俗画の傑作が続々と誕生した背景には、こうしたオランダ特有の事情があったのです。

フェルメール作品の特徴・作品鑑賞ポイント

市民生活を優しく切り取るフェルメールの風俗画
フェルメールの絵画のモデルとなった人々の多くは、穏やかな微笑み、
あるいは憂いを帯びた表情で、静かに絵画のなかに佇んでいます。
描かれている人々の衣服や室内の様子からは、市民のなかでも裕福で生活水準の高い人々(一部メイド)だということがわかります。
女性や学者らのファッションには当時の流行が見てとれ、
室内の壁面に世界地図が飾られている絵画からは当時のオランダの商業的な成功、
天学者や地理学者をモデルにした絵画からはオランダの科学技術の高さも伝わってきます。
フェルメールはオランダ黄金時代の市民の生活を優しく、かつ的確に切り取った風俗画を残しました。
補色関係で一層際立つフェルメールブルー
左の絵画は『真珠の耳飾りの少女』、右は『牛乳を注ぐ女』、どちらも非常に人気の高いフェルメールの代表作です。
これらの作品に共通しているのは、パッと目を引く鮮やかなブルーとイエローの色使い。
ブルーには鮮やかで濃さが出せるウルトラマリン(ラピスラズリの主成分)を用いた高価な顔料が使われています。
この顔料で描かれた絵画はウルトラマリンブルー、フェルメールブルーと呼ばれており、
フェルメールはこのフェルメールブルーと補色の関係にあるイエローを組み合わせることで、
より一層この2色を際立たせることに成功しました。
フェルメールが生涯を過ごしたオランダ・デルフトには、デルフト焼と呼ばれる白地に藍色が美しい陶器があり、
フェルメールブルーはこの色合いを目指したのではともいわれます。

フェルメールの柔らかい光の秘密ポワンティエ技法

籐の籠の持ち手とパンに白い点で描かれた光の表現に注目
明暗がはっきりとしたドラマティックな躍動感ある作品が多いバロック美術のなかで、光の魔術師と呼ばれるフェルメールの描く柔らかい光、
特に窓から差し込む光の表現は秀逸です。
上の画像は『牛乳を注ぐ女』の一部分ですが、籐の籠の持ち手やパンに白い点々が描きこまれていることがわかります。
このように光を白い点で表現する点描技法を「ポワンティエ」と呼びます。
フェルメールはこのポワンティエ技法を用いて光の煌きと柔らかさを表現しました。
フェルメールの正確な遠近感の秘密カメラ・オブスクラ
実際の景色を写し取ることができるカメラ・オブスクラ
カメラ・オブスクラとは、内側を黒く塗り小さい穴を開けた、ピンホールカメラ的な光学装置。
物体をスクリーンに映し、それをトレースすることで正確な遠近感を表現できるため、画家の素描にも多く使われました。
フェルメール作品の正確な遠近感、手元や輪郭線のぼやけた感じは、このカメラ・オブスクラを使用したものだとされています。
また、カメラ・オブスクラでピントがボケた際に光が粒のように見えることから、
前述のポワンティエ技法はカメラ・オブスクラの影響だとも考えられます。
現存作品30数点・寡作の画家フェルメール
フェルメール作といわれる現存作品は約35点。
「約」と付けたのは、専門家の間で真贋が割れている作品が数点あるためです。
真贋の割れている作品を除くと、フェルメールの現存作品は30点強になります。
フェルメールの現存作品が少ないのは、フェルメールが家業と兼業しながら絵を描いていたから、
描いた作品自体が少なかったという説のほかに、デルフトの街の火薬庫爆発や、
フェルメールがアトリエにしていた居酒屋の火事により作品が燃えてしまったという説があります。
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