ミケランジェロ・ブオナローティ
ミケランジェロ・ブオナローティ『最後の審判』1535-1541年システィーナ礼拝堂。
画家名:ミケランジェロ・ブオナローティ。
時代区分:盛期ルネサンス。
生没年:1475年?1564年。
代表作:システィーナ礼拝堂の天井画、サン・ピエトロのピエタ、ダヴィデ像、ほか。
画家について:ミケランジェロの生涯と代表作・作品解説。
ミケランジェロとは?
ルネサンス三大巨匠ミケランジェロ Michelangelo Buonarrotiミケランジェロ・ブオナローティは、「神のごとき」と称された盛期ルネサンスの彫刻家・画家です。
ミケランジェロの彫刻や絵画に見られる身体を捻った表現は後のマニエリスムにも繋がっていきます。
ミケランジェロの功績は後の芸術家たちにも多大な影響を与えました。
ミケランジェロの代表作にバチカン宮殿システィーナ礼拝堂の祭壇画、
代表的な彫刻作品に『サン・ピエトロのピエタ』『ダヴィデ』などがあります。
ミケランジェロの生涯
ミケランジェロ・ブオナローティは、トスカーナ地方アレッツォ近郊カプレーゼ村の生まれ。生まれてすぐに里子に出されたミケランジェロは、成長するとギルランダイオの工房に入りフレスコ画を学びます。
その後ロレンツォ・イル・マニフィコに才能を見出されフィレンツェメディチ家の宮殿で暮らすようになりますが、
ロレンツォの死後は各地を転々としながら制作を続けました。
ミケランジェロは24歳のときに制作した大理石彫刻『ピエタ』で一躍有名になり、
ダヴィデ像やシスティーナ礼拝堂の壁画などの大作を手がけ、
ダ・ヴィンチやラファエロと共にルネサンス期の三大巨匠となります。
仕事人間だったミケランジェロは、寝る間も食事の時間も惜しんで制作に没頭し、
成功を手にしても尚ボロボロの衣服を着て制作に励んでいたそうです。
ミケランジェロが活躍した盛期ルネサンスとは
古代ギリシャ・ローマ美術を規範としたルネサンス美術。
ルネサンス期を大きく分けると初期ルネサンス盛期ルネサンス期、
盛期ルネサンスは更に構図やデッサンのフィレンツェ派、色彩のヴェネツィア派に分かれます。
ミケランジェロ・ブオナローティは盛期ルネサンス・フィレンツェ派の芸術家です。
ミケランジェロの特徴・作品鑑賞ポイント
システィーナ礼拝堂の天井画をミケランジェロひとりで制作ヘレニズム彫刻に多大なる影響を受けた芸術家であるミケランジェロ。
筋肉隆々の強靭な肉体を持つ男性美を描かせたらミケランジェロの右に出る者はいなかったでしょう。
ヴァチカン市国のシスティーナ礼拝堂の天井画と壁画は、ミケランジェロが4年もの歳月をかけひとりで描ききった大作です。
足場をかけ、300体もの人間を描ききったミケランジェロは「神のミケランジェロ」と呼ばれ、
絵画の世界でもヨーロッパ最高の芸術家としての名声を手にしました。
ヘレニズムを超えたヘレニズム彫刻家ミケランジェロ
彫刻でも絵画でも成功したルネサンス期の巨人であるミケランジェロ。
サン・ピエトロ礼拝堂の設計も手がけるなど、その才能は彫刻以外でも発揮されましたが、
ミケランジェロ本人はあくまでも彫刻家にこだわり続けました。
ピエタやバッカス、ダヴィデなどミケランジェロの大理石彫刻は、裸体壮大なスケールで表現されており、
古代美術のヘレニズム彫刻を凌駕する美しさです。
ミケランジェロは、ミケランジェロが生まれる前に活躍していた初期ルネサンスの彫刻家ドナテッロとしばしば比較されますが、
ミケランジェロの師匠であるベルトルド・ディ・ジョヴァンニはドナテッロの弟子であったことから、間接的に繋がりがあったとも言えます。
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